1/20の朝、いつものように咳き込んでいると呼吸がしにくいことに気づく。
あれ?やばい。
部屋で身体がテンパり汗だく。
病院に行かないとヤバイ。とわかってるがEGG BRAINの復活ライブやスタッフたちが作り上げた10周年イベントMUSIC ZOO WORLDを見たい。
しかし死んだら元も子もないと思い、母の車で救急へ。
CT、レントゲンなど検査を経て、鼠蹊部からの採血が激痛。3リットルぐらい血を抜かれる。そしてその後も注射を何本かミスられたり、採血や血液培養など両腕で5本以上。(のちに病室で失敗含めて3回。)そのうち手のつけ根の注射が激痛で叫んでしまうほど。痛すぎる。
全ての検査を終え、病室へ。
その間もずっと苦しい。
吸引、ステロイド点滴、酸素マスクできることは全てやってもらうが、もう手の施しようが無いと言われる。
どうやら先週とは反対の肺にも肺炎が発症しているようで、その両方の肺炎と、恐らく気管支のガン、あと脱水症状からの痰が粘り濃くなり、様々な原因で呼吸苦が起こっているみたい。
もう何度も苦しくて気が遠のく。「なんとかしてくれ」と必死で訴えるが、当直医も頭を悩ませる。
あまりにしつこいので、恐らくお休みだった主治医も来てくれた。主治医の話しは安心する。かなり気が楽になる。
「松原さんは酸素レベルは低くて85ぐらいで今は93なので、酸素自体は身体に入ってるから大丈夫ですよ。」
この言葉だけでも恐怖感が減る。
しかし喘鳴(ぜんめい)の音は増すばかりな気がする。ぜーぜーぜーぜー、ぴぃーぴぃーぴいーぴぃー、めちゃくちゃうるさい。
痰が絡むので、鼻から吸引のホースを入れて痰を出す。痛くてしんどいけど、もう我慢するしかない。死にたくない。ここを乗り越えないと。
沢山のみなさんからのメッセージがホントに励みになります。
何度かの呼吸苦の山を乗り越えて、そして夜、最大の発作が起きる。
次男くんと母が食事などを持ってきてから、まもなく、、、
大きな痰が絡むのがわかった。吐き出そうとすると吐き出せない。何度も咳をするが出ない。
そうこうしている間に酸素が足りなくて苦しくなる。
急いで酸素を吸おうと思うと恐らく痰が絡んで吸えない。ただでさえガンがあって細い気管支の中。
そして苦しくてのたうちまわる。
酸素レベルは60台まで下がり、苦しくてベットでじっと座ってられない。母はテンパり病室を出てナースを呼びにいく。松原はもがく。苦しい。こんな苦しさは体験したことがない。部屋中のものを倒す。もう死ぬ。こうやって死ぬんだともう正直諦める。苦しくて楽になりたくて、窓から飛び降りたい。苦しくて殺して欲しい。楽にして欲しい。汗が止まらない。最後に気持ちを伝えたくて次男くんを抱きしめる。次男くんも泣き叫ぶ。きっとどうすることも出来なくて怖いんだろう。父の姿を見てられない次男くんは病室から飛び出す。医師たちが病室に駆け寄り、松原を抑えて酸素マスクをあてがう。松原はもう気力が無く動けなくて全てを任せる。
ゆっくりだが息が通り出す。恐らく20分ほどかけて呼吸を整える。テンパってしまい余計酸素が思い通りに吸えない怖さから、悪循環になったのだろう。
しかし、本当に怖かった。COMING KOBE18終わりより苦しかった。あの時はピタっと呼吸が止まるがなんかおかしいけど今日のは薄く薄く酸素が入るので苦しい。
そしてもう次この発作が来たら助かる自信は無い。覚悟を決めないといけない。
当直医に喋るのが苦しいのでiPhoneで筆談し、何か出来ないのか?苦しいのを緩和できないのか?と訴える。
鎮静剤を使って意識を落とす以外もう方法は無いと言われる。しかしそれは意識が無い分、そのまま呼吸出来なくなり死ぬことがあるので医師的には反対。
その時の松原の筆談がメモに残っていたのでこんなやりとり。(当直医は口頭で答える)
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もう少し詳しく鎮静のリスクを知りたいです
鎮静時に(酸素レベル)70とかになっても
起こせないんですか?
死ぬ可能性はどれぐらい高まりますか?
インライタ飲んだらダメですか?
インライタを続けたらだめですか?
やはりアフェニトールがいいですか?
今すぐ何かしないと今晩中に死ぬと思ってます。
麻薬は関係ない。
気管支に詰まってるから苦しい
酸素のスペースがない。
死ぬことは無いんですか?
さっきほんまに死にかけました!
息がほんまに出来なくて。
何が理由なんですか?
80以下になってました!
違う病院で対処してくれるところは無いんですか?
これ次おきたら絶対死にます!
それぐらい苦しかったです!
病院内でもう一回相談できないですか?
すぐにお願いします!
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何もできない悔しさにあふれる。
そして何度も苦しい咳に襲われるが、23時ごろにポロっとガンを吐く。するとかなり息の通りが良くなった。とは言え、まだ前々前世、、、、、、じゃなくて全然喘鳴は聞こえるけど。(←ちょっと余裕が出てきた)
でも寝るのが怖いのと、前かがみ以外の姿勢は喘鳴が大きくなるので、横になれずに朝まで起きてる事にする。
寝落ちが何度かあって、軽くは寝つつ、5:00を迎える。
今日は朝から大阪のステント手術の病院に連絡をしてくれて相談してくれる。
要は「肺炎を先に直す」か「ステント手術をして空気を吸う軌道を先に確保する」かである。
以前の5月のブログでも書いた通り、腎臓がんの腫瘍は血液を多く含むので、気管支でステントを入れて当たったりして出血をして、その血で窒息するリスクが高く、基本腎臓がんの気管支手術はあまりしないらしいです。
そして抗がん剤をどうするか?
今まで使っていたインライタにするか?でも効かなくなってるので、アフェニトールという以前、かなり長く利用したトーリセルという薬の親戚を使うか。
しかしアフェニトールの効果は期待薄で、しかも間質性肺炎になりやすく、今の松原には危険を伴う。
このいくつかの選択。
正解なんてやってみないとわからないし、過去のデータなんて存在しない。この条件はもちろん松原が始めて。なんのエビデンスも無い状態で決めるのは自分。もちろん主治医の意見を聞きながら。
とりあえずはまもなく6:00を迎える。
なんとか夜は乗り切った。
ここまで乗り切れたのはタイトラで打ち上げ中のみんなの応援動画や、スタッフの応援や、Twitterやこのブログのコメントのお陰です。ハイスタ健さんからも心配の連絡を貰ってホントに嬉しい。今は正直に恥ずかしげもなく、感謝を言える。最後かもしれないから伝えなきゃと思う。
今日死にかけて落ち着いたタイミングで、初めて息子2人に「お父さん、もうホンマに最期かもしれんから、何でも答えるから聞きたいことは無いか?」と質問した。
「とりあえずこれを乗り越えて退院してから、色々聞きたい。」
と2人に言われた。
なんか粋な事、言うようになったな〜
おっけ!乗り越えたろやないかい!でもその時は質問は終了して受付てませんけどねw