7ヶ月ぶりのイベント現場

松原が関わるイベントでトップクラスに大きなイベント「ポルノ超特急」が12/24と12/25で開催され、それこそCOMIN’KOBE以来の約7ヶ月ぶりの現場に出て仕事をしてきました!

病気が解った時に「このイベントまで生きてるかなー」と思ったのを覚えてます。多少、命削っても2日間を見守りたくて、スタッフや主催のROTTENGRAFFTYに迷惑がられながら、「はよ帰れ」って言われながら、終日会場でバタバタさせてもらいました!

途中でバテて仮眠したり、咳が止まらなかったり、咳をし過ぎて背中が痛くてマッサージしてもらったり、まさかの喋り過ぎて腹筋が痛くて苦しんだり、体力の無さに情けない思いもしつつ、でもこのイベントはバンドマンのカッコいい所が凝縮してて、めちゃくちゃ感動しました!

そして自分のことで恐縮ですが、直接嬉しかったって言うのが照れ臭かったのでここに書かせてもらいますが、死ぬほど胸が熱くなったのが「今回出たのはちょっとだけ松原の事があったから…」とか、「このセットリストは松原の為に」とか言ってくれる人が居て涙腺崩壊で感動でした。もうウソでもいいの。トイレに駆け込んでウルウルしちゃう。

って事で無理したらあかんって解ってるけど、さすがにちょっとだけ張り切ってしまいます!

とにかく大変なバンドってのを続けてるバンドマン、何かの結果を出してるバンドマンってのにはやっぱり何かしらの理由があって、超カッコいい!

解ってたけどやっぱりバンド最高!もはや音楽よりバンドが好きなのかも!?そんな2日間になりました。

 

そしてそんな感動の代償…

 

イベントを終えて今日で2日経ちますが、まだ疲れが取れずにずっと寝てます…予定もキャンセルして。

COMIN’KOBEの時は2日後に40度の高熱で入院したので、そこまで行かなくて良かったですが一体いつになったら体力回復するのか?笑

でも後悔無しで楽しかったデス!

以上!

たっぷり昼寝したのに21時にはもう眠たくなってる松原でした!

COMIN’KOBE2016募金先訪問レポート(東北編)

前回の熊本募金レポートに続いて今回はCOMIN’KOBE16東日本大地震募金先訪問レポートです。

まずは朝7時に飛行機で花巻空港に到着。

そこから車で2時間かけて大船渡へ向かいます。

2時間ぐらい早くついてしまったので寿限無亭という何でも手作りしてしまうおじさんの小屋を訪問してきました。山の上にあるので震災時は津波がやってくる所を一部始終ここから見ていたそうです。

いきなり寄り道から始まった今回の訪問ですが、遂に1つ目の訪問先に到着。

「大船渡市立赤崎小学校」です。玄関にはこんな嬉しい看板がありました。


こちらの小学校は明治6年設立で140年の歴史がある学校で、被災して校舎が無くなり、この蛸ノ浦小学校を貸りているそうです。2校が一緒になっているんですが体操服の色を赤と青で分けて、しかも1クラスに2校の担任が1人づついる不思議な事になっているそうです。教室を覗いても2色の体操服の子供がいて違和感がありつつ、震災からもう6年なので今の6年生が1年生の時からこの状態だそうです。そして平成29年4月から赤崎小学校として新校舎が完成するそうです。
生徒数は119人(うち46人赤崎小、70人蛸ノ浦小)で赤崎小の子供達はスクールバスで通っています。

ここにはまだ沢山の仮設住宅があるのでグランドが狭く、前の赤崎小学校のグランドにスクールバスで移動して、運動会などを行っているそうです。ちなみにこの学校は市内最後の仮設住宅だそうで、他の学校は全て仮設が撤去されているそうです。
(余談ですがこの蛸ノ浦小学校は先生が離任される時は船に乗って、親御さんみんなで見送る風習があるそうです。)

募金はスクールバスの運営費など子供達の為に活用頂けるそうです。

続いて訪問したのは「大船渡市立赤崎中学校」です。

市内で全壊というはこの赤崎中学のみだそうで、今はキャンプ場に仮設校舎を建てているのでロケーションがかなり良かったです。

新校舎は1月に完成して3月に引っ越しする予定だったが工事が遅れて4月になったそうです。しかし、まわりのインフラより最優先に再建頂いた事に校長先生は深く感謝されておりました。在校生は77名(3年前は123人でこれは震災の影響では無く自然減だそうです。このあとは60人で推移するとのこと)

今回の募金は部活動で必要な物や、生徒の半数以上が学業援助を受けているので全員がスクールバスを無料で使用できるように活用頂けるそうです。

そして次の訪問先は陸前高田に移動して「陸前高田市立広田小学校」です。

陸前高田で公共施設は広田学校のみだそうで震災時は1階が診療所、歯医者、避難所になり、2階に小学校と中学校という使い方をしていたそうです。今でも公民会に教室を貸しているそうです。

2011年8月ぐらいにグランド(校庭)に仮設住宅が建ち、今は復興住宅が出来てこの4月からは仮設住居者がかなり減ったそうです。(60世帯から10世帯まで)
先生方もほとんどが被災され、生徒含めてこの仮設に住まれてた方も数名いたそうです。
今後もこの学校は貴重な防災拠点となっていく予定で備蓄倉庫を設置して避難所として被災地の要となっていくそうです。
現在生徒数は126人(自然減で毎年減っている)

募金については仮設が撤去になった後のグランドの整備(今は砂利なので)や、遊具の設置などに活用頂けるそうです。
仮設が5年前に出来てから「このグランドにある遊具は仮設住宅があるので、もう学校のものでは無い」と生徒に言い聞かせているそうです。なので5年以上遊具を使っていないのでもう痛んで使えないそうです。それこそ仮設が出来てから入学した子達はグランドを見た事が無いので「校庭ってなに?」となってる子もいるそうで、とても不憫に思います。来年の運動会には整備が間に合わないだろうけど再来年には使えるようにするそうです。
そして教育活動の部分や、校外学習の交通費など保護者の経済的負担を減らすために使用頂けるとの事。

そして日が落ちてきたので今日はここまでとなり、この訪問の旅を全て同行して頂き、きっかけを作って頂いたライターの松本さん、そして市議のカンコ先生、市役所の小澤さんや、中学校からの同級生藤本も東京から駆けつけてくれてみなで食事をしました。

これからの事、陸前高田でワクワクする事を一緒に企めて有意義な時間になりました。また皆様に報告出来る日が来る事を楽しみにしてます!

続いて、翌朝最初に向かったのは「陸前高田市立高田東小学校」

この学校は米崎中学校の校舎を使っていて、米崎中、広田中、小友中の3校が統合して出来た学校で他の2つの学校は津波で流されたそうです。
生徒数は184人で広田中、小友中の生徒は当然家が離れているのでスクールバスで通っているそうです。(ちなみにまめ知識で6km以上学校から離れた自宅の学生からスクールバス通学になるそうです)
仮設住宅は今は20世帯ぐらいで、設営当初から様々な交流を設けているそうです。遂に新校舎が完成して12/23引っ越しするそうで仮設住宅の皆さんとお別れ会も行うそうです。

募金の使い道は新校舎の使い勝手が悪い部分を治したり、スクールバスなど学生の為に使用頂けるそうです。
ちなみにこの学校は野球部が活躍して全国大会に出場(北東北代表)しているそうです。
そして兵庫の様々な学校から支援が届いているそうで例えば播磨西小学校からはベルマークを送ってくれるなど交流があり、兵庫県民として嬉しく思いました。

そして最後「市立図書館」と「こども図書館ちいさなおうち」を訪問しました。

「市立図書館」は中心市街地、市役所の近くにあった図書館が全壊して今、この竹駒に仮設で建っています。
2012年12月1日にオープンし、北海道の団体ブックシェアリングの学生さん達がこの可愛いログハウスを作ってくれたそうです。
蔵書は津波後に寄付頂いた5万冊で、ここにあるのは1万冊。残りの4万冊は移動図書館や学校の教室などに保管しているそうです。しかし保管の場所が複数あるので本の管理が大変で、利用者の読みたい本があればデータベースで検索し、事務員が取りに行くそうです。

こちらは津波で流された貴重な郷土史を文化財レスキューに修復してもらったそうです。

そしてこの場所は他にもコミュニティー施設としても活用され、「集会場の中に本がある」という様な感覚だそうです。毎週水曜日にお茶を飲みながら集う会や、手芸の会やPCの勉強会なども開催され、地域の方にほとんど毎日使われているそうです。車も停めれる便利な場所というのも使われる要因の1つだそうです。

今は新しい図書館に持っていく本の選定と買い揃えをしていて、本の寄贈については同じ本の多くなるので今はストップしているそうです。しかし郷土史は貴重なので随時受付しているそうです。
新しい図書館は民間が建てた建物を行政が買い取るという形で再建し、新しい町並みに合わせて商業施設と一体とした図書館になるそうです。楽しみです!

そして今回の募金は図書の購入に使用頂けるそうです。
ちなみに松本さんの書かれた「ふたつの震災」もあったので一緒に写真撮影。是非みなさん読んでみてくださいね!

続いてそのお隣にあるのが「こども図書館ちいさなおうち」です。

災害が起こり、街が混沌としたいつ図書館が再建出来るか全く解らない状況の2011年11月に「NPOうれし野こども図書室」が運営する盛岡図書館の分室として設営。「NPOうれし野こども図書室」は元々子供たちに絵本などの読み聞かせなどをして来て、自称「本が大好き人たちの集まり」との事ですが、なんと設立30年も経っていて、そんじゅそこらの図書館スタッフより本の事が詳しいと評判だそうです。
そして実質、この図書館をオープンする為に本格的に動きだしたような状況だそうです。

子供向けの本、児童書や絵本が沢山あり、子どもたちや家族の方たちがくつろいで過ごせる場所として地域住民に愛されている場所になっています。施設としても多少のにぎやかさはOKで子どもたちものびのびと過ごしているそうです。赤ちゃん連れの親子が来ると一緒にわらべうたあそびをしたり、クリスマス会などの行事では常連の子どもたちがスタッフとして加わり、司会や読み聞かせ、演奏などをしてくれるそうです。そんな感じで写真を見ての通り、とってもアットホームな空間になってます!

光熱費や一人分の人件費は教育委員会から援助が出ていたそうですが今後予算が出なくなって行くそうで、今回の募金はこの図書館の運営に御役立て頂けるそうです。今後も市の公共図書館と差別化を計り、子供たちが本に触れ合い、出会う場所を守っていかれるそうです。
ちなみにここにある本の半分は寄付でまかなわれているそうです。

これにてCOMIN’KOBE16の募金先訪問を終えて、今回の訪問を支えて頂いたライターの松本さん、東海新報鈴木さんとお別れです。本当にお付き合い頂き感謝です。東海新聞でこの事を記事にしてくれるそうなのでとても楽しみにしてます。

そして今回のプロジェクトの大事な1つ。
「陸前高田に松原を!」です。

7万本あった高田松原の松が津波で流されて1本だけ残った奇跡の松。ここに松原がやってくるという今回の裏テーマです。

無事任務を終え、これで陸前高田とはお別れです。松原もステージ4から生還して「奇跡の松原」になれるように精進していきます!

そして以前のCOMIN’KOBEで寄付させて頂いた石巻に訪問して、久しぶりのみなさんとお会して、最終の飛行機で神戸に戻りました。

今回もとても熱い人たちに出会って胸の奥から血が沸き立ちました。病気になって落ち込んでる暇なんて無いし、戦ってるみなさんを見習って前に突き進まなければいけないですね。御弊があるかもしれませんが「ガンになったんなら、今からあがいてもしょうがないので今からをどうするか」「地震が起きてしまったのはもう戻れないので今からどうしていくか」そんな風に前を向けるのは簡単な事では無いと思いますが、でもこうして戦わなければいけない訳です。

地震に負けて続けているのも悔しいし、人間を舐めるな!と言える様に、みんな協力し合い、支援の輪が続いていきますように。

そして最後に重大な事なのでお伝えしますと、過密なスケジュールだったので訪問前から聞いていたグルメ店や名物を一切食べれなかった事がとても残念で心残りです!

以上大船渡、陸前高田訪問レポートでした。

これにてようやくCOIN’KOBE16を終了して、COMIN’KOBE17に向けて動き出します!今年は募金を自分の手で持っていけないと思っていたので本当に感慨深い限りです。

募金をしてくれた皆様、出演者の皆様、スポンサーやスタッフ関係者の皆様、本当に遅くなって申し訳ございませんでした。

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2016年募金額合計 ¥7,292,550.-
うち半額を東日本大地震支援 約¥3,600,000.-

《今回の東日本大地震支援募金先と金額》
赤崎小学校 ¥600,000.-
赤崎中学校 ¥600,000.-
広田小学校 ¥600,000.-
高田東中学校 ¥600,000.-
市立図書館 ¥500,000.-
こども図書館 ¥500,000.-

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一日も早い復興を心より祈念申し上げます。

COMIN’KOBE2016募金先訪問レポート(熊本編)

12/11 熊本の西原村に募金を届けにやってきました。

(東北編はこちらから https://blog.comingkobe.com/?p=907 )

朝9時熊本駅で恊働センターの頼政さんに迎えに来て頂き、車で約1時間かけて西原村へやってきました。

この西原村は熊本市から一番近い村であり、南阿蘇観光の玄関口として知られています。熊本地震の時は震度7を記録し、多くの家などが崩れました。災害時は1,000人以上が避難され、食料不足はもちろんですが村に3人しか看護婦がいないので大変だったそうです。

益城町は多く取り上げられているが西原村はあまり報道されていない様に思えます。COMIN’KOBEとしてはこの西原村に募金をする事を決めさせて頂きました。

その大きな理由として、熊本地震の時に九州の友人と連絡を取り合っていると彼が数日後に物資を届けに行くと言うので「COMIN’KOBEのTシャツ」を大量に送って一緒に届けてもらいました。そして少し時間が経ってからNHKのお世話になっている方から「熊本の西原村にCOMIN’KOBEのTシャツを沢山来た人がいる!」と連絡を頂きました。そして事情を説明して、丁度募金先を選定している所だったのでこの西原村で活動されている恊働センターの頼政さんを紹介して頂き、今回の募金に繋がったという経緯があるのです。

なので勝手に何か運命を感じて、この西原村へ支援を決めさせて頂きました。

そんな西原村に到着して、まず訪問したのたのは「西原村たんぽぽハウス」。とっても明るいオーラで迎えてくれたのは施設長の上村さん。

障害者の支援を行なっているNPOで、震災を機に復興活動も行われています。毎週土曜日は18歳以下無料の子ども食堂なども行なっています。

上村さんは被災時は朝4時に起きて、朝食の炊き出し準備をして終わったらすぐお昼の炊き出し、終わったら夜の炊き出し、というスケジュールで4時間ぐらいの睡眠時間しかなかったそうです。避難所としても使用していて、みなさんは部屋の中で眠ってもらい上村さんは玄関の寒い所で寝袋で寝ていたそうです。本当に頭が下がります。

 

募金をお渡しして、とても喜んで頂きました。子供達の支援、障がい者の支援に御役立て頂けるとの事です。そしてこれからも街のみなさんが集まるコミュニティーの場として頑張ってください。

 

そして続いて向かったのは西原村地域福祉センターです。ここは様々なボランティアスタッフが集まる場所で、その中にあるに西原村農業復興ボランティアセンターが進化して出来た「西原村百笑応援団」に訪問致します。
震災前からの慢性的な課題である農家の人手不足、後継不足に対しての活動されています。震災直後から農家のお手伝いをされています。

被災してやる気を失った高齢者にもう一度頑張って農作を勧め、集まった農業ボランティアを斡旋していく。ボランティアも自分が植えた農作物に愛着が沸き、リピーターとして西原村にまたやってきてくれる。この農業を中心に互いに良い効果を産んでいます。こんな事は現地にいないと全く気がつかない事で、この新しい形がどんどん広まれば良いと本当に強く思いました。

そして名産のシルクスイートを頂いてしまいました。ありがとうございます。募金はようやく団体として形になった運営費などに活用頂けるそうです。

 

続いて向かったのはずっと案内を続けてくれている恊働センターの事務所です。

 

この「被災地NGO恊働センター」は阪神淡路大震災をきっかけに誕生した神戸の被災地支援を行う団体で、今回の西原村を紹介してくれた方なんです。

被災地に訪れて、様々な人と人を繋ぐ事をメインに活動されていて、例えば今回の様な西原村は村の集団移動を行うか現地を再建するかが大きな問題となります。しかし住民同士で再建派と移動派で意見が衝突します。そこで恊働センターの皆さんが間に入り、様々な事例なども紹介して良い着地を見いだしています。

本当に一例で数えきれないお話を聞いて、とても感銘を受けました。とにかく人と人をどう繋ぐ素晴らしい活動に頭が下がります。

そしてここ西原村を出て、神戸の大学に通っていた寺本わかばさんが中心となって活動している「わかばmeeting

被災して、大学を休学して西原村の復興活動を行う中で先ほどの恊働センターの頼政代表と出会い、この「わかばmeeting」が誕生したそうです。

被災した村の人だけが知ってるネットワークで集まったメンバーでミーティングを行い、様々な課題解決をしていく。この活動は1つの集落に限定する訳では無く様々な集落で行い、コミュニティーの場を作っています。そしてフリーペーパーを作成したり、村の為に奮闘されています。この若さで素晴らしい活動をされています。阪神淡路大震災の時に何もしなかった松原に爪の垢を飲ませたいです。そんな二団体に寄付をさせて頂き、活動資金に使って頂きます。

そして西原村を色々と回らせて頂きました。仮設住宅ではボランティアスタッフの方々が家具を作っている所に偶然遭遇し、こうした触れ合いの大切さをしみじみと痛感。高齢者の方々からお話を聞けて、とても良い経験が出来ました。その他にも色々な場所を訪問して地震の大きさを改めて体感しました。

 

 

そして最後に訪問したのは「木のテントプロジェクト」を活動されている吉岡さん宅。吉岡さんは家が倒壊している方を対象に、無償でテントをお渡しする活動をされています。物置などがなく仮設に物を全て持っていくことができない人が多いので、とてもニーズは高いそうです。

 

是非この募金を有効に活用頂けますと幸いです。

以上今回のCOMIN’KOBE16熊本地震支援募金先訪問をなるべくコンパクトにレポートを書かせて頂きましたが、村の高齢化や、村だからこそ抱える問題など現地に行かないと解らない事を沢山聞かせて頂きました。倒壊した家や橋は綺麗に治せたとしても人の心をどう復興していくか、本当に難しい課題です。

そんな人と人を繋ぐ活動、人を支える活動をされている方々に会えてとても刺激を頂きました。何か自分も動きたくてうずうずの連続でした。これを点にせず線でお役に立てれる様にCOMIN’KOBEとしても考えていきたいです!

そして神戸で集まったこのミュージックラバーの熱き思いを是非復興の為に有効に活用頂けると幸いです。

そして最後にこんな事を言わなくてもいいかもしれませんが、重大な事なのでお伝えしますと、早朝に到着して、分単位のスケジュールの上に終電ギリギリで西原村を出たので一切名物を食べれなかった事がとても残念で心残りです!

以上西原村訪問レポートでした。

続いては東日本大地震へのレポートをご覧ください!!!

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2016年募金額合計 ¥7,292,550.-
うち半額を熊本地震支援 ¥3,583,775.-

《今回の熊本地震支援募金先と金額》
被災地NGO恊働センター ¥700,000.-
たんぽぽハウス  ¥700,000.-
わかばmeeting  ¥700,000.-
百笑応援団  ¥700,000.-
木のテント  ¥700,000.-

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日々ご尽力されている皆様方に敬意を表し、一日も早い復興を心より祈念申し上げます。

高田松原に松原を!プロジェクト

いよいよ明日、東北にCOMIN’KOBE16の最後の募金を持っていけます。

本当に感慨深いです。

癌になって、手術して何とかCOMIN’KOBE16を終えて、残務処理と並行して募金先を色々調査してる最中に体調がどんどん悪化して、毎日血を吐く日々。

家からも出れずに、もう自分の手で持っていけないなーと諦めてつつ、ずっと気がかりだった募金をようやく明日持っていけます!

かなり過密なスケジュールなのでちょっと体調が心配ですが、主治医から緊急用の紹介状も貰って準備万端!

大船渡市内の学校2校、陸前高田市内の学校2校、図書館2館、そして以前募金した石巻の食堂にも訪問して帰ります!

ちなみに今回のプロジェクト名は「陸前高田に松原を!プロジェクト」と名付けられてます!笑

またご説明しますが今回の募金先を紹介して頂いた方が命名してくれたのですが、陸前高田市に高田松原という場所があります。

そこに約7万本あった松が津波で流されたのですが、奇跡的に一本だけ残ったお話をご存知でしょうか?

http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/fukkou/ipponmatu/takata-ipponmatu/takataipponmatu.html

それにちなんで命名された「高田松原に松原を!プロジェクト」

なんだか勝手にすごい運命的なものを感じて、奇跡の一本松を一人松(原)が目指します!笑

この一本松が人々の気持ちに与えた影響はきっとすごかったと思います。そんな奇跡の一本松の様にこの募金も何かの力になります様に!

それではまたご報告致します!

 

オプジーボ6クール目

本日はオプジーボ6クール目です。

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昨日は会社の楽しい忘年会を経て、

寝不足のまま8時に病院着!

血液検査して、診察して、そこから3時間待ちで12時半からようやくオプジーボの投与。

ほんまにこの待ち時間なんとかならんのかなー…

 

そして血液検査の結果ですが毎週毎週「CRP」という数値のみが上昇してます。11/2は2.36だったのに遂に今日は「4」を突破。

これは炎症の数値で、癌が広がって炎症してるのか?それともこのオプジーボという薬の影響なのか?

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主治医もそこだけが気がかりだそうです。最近活動が活発になってしまったからなのか!?

そんなことよりトータル6時間も病院に閉じ込められてイライラが上昇してる方がこちらは気がかりです!\\\٩(`ω´٩ꐦ)////