ライブハウス人生20年目

いきなり改めてなんですが松原は神戸で太陽と虎と言うライブハウスをやっています。他にも色々仕事をしているが「仕事は何をやってるの?」って聞かれたら「ライブハウス」って答える。とにかくライブハウスというのが自分の中心にある。

そんなライブハウスで働いている人たちが集まる「勝手にライブハウス新年会」と言うのを毎年開催している。むしろどこにオフィシャルの確認をしたらいいかわからず6年ぐらい前に仲の良いライブハウスの人たちを神戸に呼んで勝手に新年会を開いた。

元々はライブハウスの先輩である大分のT井さんと松山のAさんと飲もうとなって、3人じゃ寂しいからってなり、大勢の新年会になった。

そして楽しかったのでこれから毎年開催場所を変えて幹事を持ち回りにしようとなり、広島→福岡→松山→岡山→そして今年は京都で開催した。今や4、50人ぐらいの会になっている。

正直今日、体調はよくなかったけどこの会には参加したくて電車に50分揺られて京都に到着。二次会には出ないで一次会で帰ると決めて参加した。

 

改めて松原はライブハウスが本当に大好きで、自分があるのはライブハウスのお陰だと思ってる。レーベルが忙しくなっても色んな仕事をしてもライブハウスの人間でいることは絶対に守ろうと思ってやってきた。

初めてライブハウスに行った時のあのドキドキ。今と違ってもっと治安が悪くて凄い髪型の人達がウヨウヨいて、暗くて怖くて…でも高校生の自分はめちゃくちゃ刺激を受けた。カッコいい。とにかくカッコいい。そしてそこではケンカがしょっちゅうあって、それをビビりながら見ていた。喧嘩の後の血を拭いたり、割れたガラスをよく片付けたりした。なんか治外法権な世界に感じて、どんどん引き込まれていった。

ライブハウスでライブハウスのブッキングマネージャーに名前を覚えて貰えるぐらいの存在になりたい!そう思って、高校生の時からライブハウスに通って、毎月の様に高校生を集めてイベントを開く様になった。(今となってはその経験がライブハウス人生の礎になってる気がする。)

そこから高校生3年の夏にライブハウスでアルバイトをする事になり、今に至る。ということは18歳から働いてるので今年38歳の松原は丁度20年間ライブハウスに携わっていることになる。

そしてたまたま20歳ぐらいでライブハウスの店長をする事になり、本気でライブハウスで食っていく事を決意し出す。そこからライブハウスの成り立ちを勉強する様になり、嫌でも全国の有名なライブハウスの店長さんたちの名前を耳にするようになる。丁度その頃BREAK OUTやハングアウトってテレビ番組や、インディーズマガジンなどインディーズに特化したメディアが登場して、どんどんライブハウスやインディーズにのめり込んで行く。インディーズマガジンなんて穴が開くほどくまなく読みまくった。メジャーでは無い、アンダーグラウンドなインディーズの虜になった。ハイスタの影響も凄くあった。バンドが好きで好きでたまらなくてマニアみたいになった。そして全国のライブハウスにも興味を持ち、各土地のライブハウスの名前を覚えていき、その中でも有名なライブハウスがあり、そこの有名な店長さん達とお会いしたいと思う様になる。

わかる人にはわかると思いますが千葉のS藤さん、埼玉のK田さん、九州のN本さん、名古屋のSげさん、広島のN井さん、松山のI賀さん、高知のN岡さん、もちろん冒頭でも出た大分のT井さん、松山Aさんなどなど沢山の怖い人達(失言をお許しくださいw)に出会って様々なことを学ばせてもらった。とは言え最初はただただ怒られまくっていた。

とにかく当時は特に今と時代が違うので本当に気合が入っていて、みなさん怖かった。とにかく怖かった。何回怒られて謝ったか。そしてちょっとでも甘い事を言ったら飲まされて、殴られて(笑)。とにかく怖かった。ライブハウスってそれぐらい腹をくくらないといけないんだと改めて思った。凄い縦社会なんだと思った。

それから徐々にこんな面倒くさい人達がどう考えて、何故ライブハウスをやってるかめちゃくちゃ興味を持った。ライブハウスだってビジネス、人気バンドに来て貰わないといけないのに「出る為の段取りがおかしい」「挨拶が無かった」「うちのルールを破った」などの理由で人気バンドからそうで無いバンドなど分け隔てなく出演を断ったり、出禁にしたりするこの先輩たちにビックリした。断るまでしなくていいのに何故そこまでするのか?「命がけで作った自分のライブハウスのステージに相応しくないと思ったバンドには立ってもらいたくない」そんな答えを聞いた時に全身に電気が走った。「気に食わんバンドになんでペコペコせなあかんねん」そんな言葉にも衝撃だった。なんて面倒くさいんだ!!自分のライブハウスはこういう考えでやっていてそこに惹かれて出たいというバンドに出て貰う。そんな考えはビジネスとしてはナンセンスだけど、超カッコいいと思ってしまった。それこそがアンダーグラウンドであり、ライブハウスの意味だと思ってしまった。笑

だからそんな人達の仲間に入れてもらいたくて、そこで勉強したくて、(カントリーロードというフリーペーパーの)会合が松山で行われてると聞いて、飛んでいき、仲間に入れてもらえるようにお願いをした事があった。お願いというか、面接のような試験のような試練のような。2、3時間色々話しをして、でもその時はとにかく色々な考え方を怒られて、きっぱり断られた。

なんであかんねん!って思ったけど、色々考えて悩んだ。

そしてライブハウスでやっていく為に胸を貫いた信念や志が足りないと気がついた…というかそうなんじゃないかと思った。。あと自分のペラさも改めて、勇気を出して認めた。自分の事ばかり考えて都合の良い思考や、情熱、筋を軽く見てるところなどなどあげだすとキリがないぐらいダメな所を洗い出した。

それから考えて、(自分なりに)自分の甘さを徹底して消していき、追い込んでいった。(自分なりに)二択は全てしんどい方を選んだ。自分を磨く事に時間を惜しまず費やして、プライベートを全てライブハウスに捧げた(別に苦痛では無く)。めんどくさい事を全て受け入れて、乗り越える様に頑張った。とにかく飛んでくるボールは全て打ち返して、経験にしようと思った。逃げない事を徹底した。「無理です。」「やれません。」などNGは言わない事にした。そしていっぱい様々な角度から物事を考えて自分の中の筋を作ろうとした。作ろうとして作るものなのかわからないけど、とにかく自分にとって正しい事と正しくない事をハッキリさせていった。

あとは憧れているライブハウスの先輩たちや大好きなバンドさんに名前を覚えて貰う為に酒を飲みまくって強くなって、イッキも早くなった。そして笑いを勉強した。何となく笑いを自分なりに解析して“間”や、緊張と緩和を研究した。(言ってて恥ずかしいですが、あくまで自分なりにですw)

打ち上げや宴会で目立つ為にとにかく研究した!ウケたボケは忘れない様にメモって改善を重ねて宴会芸がどんどん誕生していった!笑

 

とにかく心を磨き(自分なりに)、笑いを磨き(自分なりに)、酒を磨き(自分なりに)、そして神戸から全国へ飛び出すバンドをサポート出来るように音楽業界の事を学んだ。なんならこのCOMIN’KOBEもしんどい時に「震災の恩返しをしたい」気持ちともうひとつ「ライブハウスやバンドのみなさんに認めてもらいたい」と言う気持ちがあった様な気がします。

ある意味ライブハウスに取り憑かれた人生。

でもそれぐらいライブハウスはガキの頃の自分にとって憧れで、凄い存在だった。

 

まだまだ自分は勉強段階でライブハウスを語るのは早いですが、早いなりに今までの経験や考えを活かしてカッコいいライブハウスを作りたい。そしてダサいライブハウスを無くしたい。地元バンドからノルマを取るだけでバンドの為に全くならないブッキング、もはやブッキングがルーティーンになってる様なライブハウスを無くしたい。

ここからは特に個人的な考えだけど前日飲みすぎたかしらんけどオープン前にならないと出社しないルーズなブッカーや店長とかも大嫌い。基本的には入り時間からバンドを出迎えて欲しい。毎日真剣にイベントをブッキングしたんだから打ち上げもして欲しい。バンドに偉そうに喋るんだったらそのバンドよりも頑張って欲しい。お山の大将みたいな店長は消えて欲しい。バンドの為に権利や業界の仕組みを勉強して欲しい。バンドから見て、常にブレずにかっこいい存在で居て欲しい。

信念や志の無い、噛んでも味がしないようなライブハウスの人間はいなくなってほしい。そして自分が憧れた信念と志を持っためんどくさいライブハウスばかりになってもらいたいと本当に思っている。(ま、今の時代に面倒くささは流行らないかもですが)

今や前述の先輩のみなさんはもちろん、盛岡のK沼さんや京都のY貞さんや昨日の集まった皆さんなど刺激を貰える志の高いライブハウスのみなさんに勉強させてもらって、でも心の奥では負けたくないから必死になって頑張れていると思います。

そんな事を考えながらこの新年会があの時、めんどくさいと思いながらもドキドキしながら教わった先輩達との交流の場になればいいなと思ってるし、そうなる為に参加した。

恐縮ですが少しでも松原から何か盗みたいと思う後輩が居たら、何なりと教えたいと思う(照)。自分もまだまだこれからの身ですが。

ちょっと熱くなって、こんなに長文になってしまいましたがライブハウスがダサくならないように、バンドを苦しめる存在にならないように。あの小屋に出たらあの小屋に出れないみたいな事がなくなるように。もちろんシノギなのでライバル店舗は互い切磋琢磨して、サービスの向上に努力してバンドやお客さんにとって良いライブハウスになるべきだし、今の時代もっと街と地域と繋がっていかないといけないと思うし、バンドマンが一番最初に出会う音楽業界人なのでそこを意識して、しっかりしないといけない。

バンド始めた最初の頃は「ライブハウスの人たちに嫌われたらもう音楽業界ではやっていけない」ぐらい思ってるので言動や行動は本当に注意しないといけない。パワハラにも気をつけないといけない。

音楽業界のピラミッドの一番下にいるライブハウス。バンドはほぼみんなこのライブハウスから始まって頂点へ登っていく。そして悲しいかな頂点に居続けるバンドはほんの一握りなので後のバンドは一回売れてもまたライブハウスに戻ってくる。その時に「おかえり」ってまだ言える存在がすごく大事だと15年ぐらい前に教えられて、ずっと胸に秘めてライブハウスで働いている。地元の駄菓子屋と一緒で思い出が詰まってる場所をかっこいい言い方をすると守っていかないといけないと思ってる。

ライブハウスはその街の子供たちにとってドキドキワクワクの場所でありますように。

我が太陽と虎と言うライブハウスも改めて気を引き締めて、他に無いライブハウスにしていきます!

長々と失礼しました。こんな事を語るのは恥ずかしいし、照れ臭いし、ナルシストと思われるかもしれないけど、昨日の新年会を経て、どうしても言いたくてこのブログに書かせてもらいました。もっと言いたいけど切りがないので、もうこの辺にします。

とにかくライブハウスからカッコイイ音楽と人が産まれますように。こんなドキドキする仕事は無いし、本当にライブハウスに出会えてよかった。来世もライブハウスで働きたいと思っている。←え?このテンションなに?ボクもう死ぬの?w

“ライブハウス人生20年目” への1件の返信

  1. 初めてコメントします。
    何だか涙が止まらなくて。
    わたしも高校時代に初めて足を踏み入れたライブハウスの感動と衝撃を未だに忘れられない40代主婦です。
    昨年、友人が出演するということで
    初めて太陽と虎に行きました。
    あったかくて、でも本気のライブハウスだなと感じました。
    高校生の息子がバンドをやりはじめたのですが
    田舎なもので練習場所すら見つけるのが大変です。
    「宝くじあたったらお母さんがライブハウス作ったるから」
    と言ったことを、このブログを読んで最高に恥ずかしいと思いました…
    ぜひたくさんの若い人たちが松原さんのあとに続きますように。
    そして関西に、全国に誇れるライブハウスがたくさんできますように!
    微力ながら応援しています。

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